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所長のひとこと

所長のひとこと

五月の令和元年に思う

令和元年5月1日(水)

 

 

 五月は一年中で一番キラキラする最もよい季節である。

 そして、日本では、2019年の5月1日には特別な意味がある。平成の今上天皇(明仁天皇)が退位され、徳仁親王が新天皇に即位される。

 令和の世も、この国が豊かな自然と、豊かな人格にあふれた、平和で戦争のない国であることを、祈りたいものである。

このキラキラする一番よい五月に、日本中が祝賀ムードになることは、この上ない喜びであると思う。

 

 ここに、令和の世が、自然の愛を深く心に滲透させ、日々を生き生きと送る人で、満ちあふれ、感性豊かな若者が多い世の中であることを、祈りたいものである。

 

 

「こちらから」という坂村真民先生の詩がある。御紹介しよう。

 

こちらから あたまをさげる

こちらから あいさつをする

こちらから 手を合わせる

こちらから 詫びる

こちらから 声をかける

すべて こちらからすれば

争いもなく なごやかにゆく

こちらから おーいと呼べば

あちらからも おーいと応え

赤ん坊がなけば お母さんが飛んでくる

すべて自然も 人間も そうできているのだ

仏さまへも こちらから近づいてゆこう

どんなにか 喜ばれることだろう

 

 平成から令和に移行しても、豊かな国・豊かな人間性・豊かな自然であふれる国であってほしい。

 


 

所長のひとこと

平成さいごの春

2019年3月1日(金)



平成31年も立春はすぎたというのに、まだまだ寒い日が続いておりますが、みな様お変わりなくお元気の事と思います。

 

さて、春のポカポカ陽気になるにつれて、心も浮き浮き、たのしい心地になるものですが、まだまだ、もう少し先の様にも思えます。

 

税理士事務所も、今が個人の確定申告期にありまして、多忙な毎日をすごしております。今年も、いくつかの改正があり、その度に改正税法をチェックし、申告書に目を通すことをしているわけですが、すっきり全てが完了するには、3月の中旬になることかと思います。

 

一年の業務が集中し、どこの税理士事務所も夜遅くまで明かりがついているのを目にします。

 

うちの事務所は、昼間の集中がされているのか、年中を通して月次監査が徹底されているのか、めっきり残業が少なくなりました。この時期遅い人でも、夜の7時以降まで残る人は、ほとんどいません。それで、2月中に全完了を目標にしていますので、所長としては、よくぞここまでやれるレベルになったなと思っています。

 

さて、いつか、年賀状でも紹介したことのある、坂村真民先生の 念ずれば花ひらく、の詩をもって、春をまちわびたいものです。

 

 

念ずれば 花ひらく

 

念ずれば

花ひらく

苦しいとき

母がいつも口にしていた

このことばを

わたしは いつのころからか

となえるようになった

そうして そのたび

わたしの花が ふしぎと

ひとつひとつ

ひらいていった

 


 

所長のひとこと

平成31年の新年におもう

2018年1月1日


平成31年の新年は、穏やかに明けました。今年の平成はまた特別の意味もあり、平成が最後の年になるであろうという意味もあり、淋しくもある年になるのでしょうか。

 

天皇陛下が、今年で退位されるにあたり、天皇のおことばを耳にした国民は多いはずでした。あの放送を聞いて、国民の誰もが天皇の姿勢とお姿に、涙した事と思います。

 

自然災害に苦しむ被災地を訪れて、ひざをつき、被災者と同じ目線で、お励ましになられた事、皇后様への感謝にことばをつまらせながらも、おことばを発せられた事、どれもが国民に励ましと、勇気と、戦争のない平和な国を目ざされるお姿に、涙がこぼれました。

 

さて、平成三十一年、世界情勢をながめますと、不安定で問題の多いものがあります。さらに今後、政治も不安定ですし、安全・安心で豊かな日本人特有の国民性を、お互いが感じ、さらに若者が夢をもち、志豊かな日本へと向かう姿からは、ほど遠いものを感じたのは、私だけではなかったのかもしれません。

 

日本人が日本人としての誇りを保つ社会の建設には、一人一人の国民が、それに合った生き方をしていかなければいけないのでしょう。

 

とりわけ若者が、豊かな心をもち、仕事に喜びを求め、仕事を通して、互いの心を思いやる日本でなければいけませんね。

 

私も今一度、平成の最後の年にあたって、仕事を通して自分の立ち位置を確認しながら、仕事に対してもう一度本当に人の為になっているのかを考えてみたいと思います。

 

最後に、坂村真民先生の「心構え」を、一年のスタートのことばとして、心に刻みたいと思います。

 

「新しい年を迎えるには、新しい心構えがなくてはならぬ。決してただ漠然と迎えてはならぬ。そしてその心構えには年相応のものがなくてはならぬ。五十代には五十代の心構え、七十代には七十代の心構えが大切である。還暦になったんだから、古希になったんだからという妥協は、自己を深淵に落ち込ませるだけである。」

 

ことし一年が、みな様にとりまして、一度しかない人生を、実りあるものにされる事を祈念致します。

平成三十一年 元旦

 


 

所長のひとこと

今年の12月に思う事

2018年12月1日



時の流れははやい。新年の抱負を願い、目標を立て、この時期でしか味わえない気持ちになる、12月。また来年、新年がくる。

 

一年を通じて

「よわねをはかない。くよくよしない。泣き言、いわない。後ろをむかない。」

 

つもりで生きてきただろうか?

きっと、来年も同じことを言ってはいないだろうか?

 

来年は、「ひとつを願い、ひとつをしとげ、花を咲かせてみよう。」

そして、よい実を結んでみよう。

 

古希にさしかかった今こそ、充実した、たのしい日々が生きられる気がする。

生きることは限りなく楽しく、自己を深く見つめることもできる。

 

来年まであと1ヵ月。

みな様も同じ心境でしょうか?

 


 

所長のひとこと

もう一度「プロフェッション(Profession)と税理士」とは

2018.10.10

 

「プロ根性、プロ意識をもて!」と上司が部下を激励するときのプロも、子どもたちが憧れるプロスポーツ選手のプロも、それぞれ「プロフェッショナリズム」と「プロフェッショナル」を縮めたことばである。この「プロ」とは、いったい何でしょうか。

 

「プロフェッション」(Profession)を辞書で引くと、筆頭に「職業」とあります。

 

職業については、夏目漱石が「道楽と職業」と題した兵庫県明石での講演でこんなことを語っているそうです。「どんな職業であれ、ただ好きだからやるというのではだめだ。人のためにするという公益性をもつべきものが、職業である」と。

 

好きでやっている間はただの道楽だけれども、そこに「他人のために」という価値を見出した瞬間、道楽は職業に変わるというのである。さらに続けて漱石は、「他人のため」がとりもなおさず「自分のため」になると言っています。これこそが、職業意識、プロ意識というものでしょうか。

 

ところでプロフェッションは本来、強い使命感に支えられたものでした。プロフェッションの語源は、13世紀に「入信の誓い」という意味で登場し、中世の時代には「神学、法学、医学にかかわる職業」をも指す語となり、さらに「公言」「宣言」「告白」の意味をもつにいたったことばである。

 

公のために貢献することを神から求められた者たちがプロなのであり、その使命を果たすために長期にわたって修養し、専門技術を身につけ、生涯をその使命遂行に捧げる人たちがプロでした。中世の時代にプロと目された聖職者、裁判官、医師たちには、自分は神から公のために尽くすことを託されているのだという使命感がありました。この職業に身を置く者には、ごまかしや裏切りや、自分の儲けだけを考えることなど決してあってはならない、あろうはずがないということで、衆目からひと目でそれとわかるように、ユニホームに身を包んでいたそうです。プロであることを常に問われていたわけです。

 

「税理士よ法律家たれ」と、租税法という法分野の範囲内ではあるが、税理士がプロフェッションとしての法律家の自覚を持ち、「法律家」としての誇りをもって職務にあたってもらいたいと言われ続けた、故・松澤智先生の教えにも、その事は貫かれています。

 

租税法が法律であり、法律学である以上、学問と密着した職業であって、単なる個人の利益追求のみを主眼として営まれるものではなく、公共に対する奉仕の精神をもち、このような同じ目的を追求する人間集団として存在するのが「税理士制度」である。

 

我々税理士個人々々は、人間として、社会にいかに生くべきかの深い洞察をもって、プロフェッションとしての法律家の役割を果たすべきである。

 

そして、ユニホームに襟を正す思いで自らのプロ意識を問う必要がありそうです。私達税理士には、租税正義の実践という高い価値目標があるわけですから。

 


 

 

所長のひとこと

2018年8月 盛夏におもう。

「西郷どん」をみて…

 

今年の夏は、ことの他暑い日がつづいておりますが、天候不順もこれまでの想定を超えた大雨による豪雨、予想を超えた台風の進路等で、さらに暑い毎日が戻った季節が続いております。

また、豪雨により被災された西日本の方々には、心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。

 

さて、今NHKの大河ドラマは、「西郷どん」もいよいよ佳境に入ってきました。

江戸城の無血開城により江戸の町を、火の海から救った偉業、江戸末期から明治初期に遺した西郷隆盛の足跡は、偉大です。改めて、その言葉を紐解いてみると、現代の日本の実情を見通すかのように重大な示唆に満ちております。

 

西郷どんの言葉をあげるならば、まず第一に「敬天愛人」でしょう。

「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以って人を愛する也。」

 

人間は、自分の生死を自分でコントロールすることはできず、神や自然といった人知を超えた大いなる力のもとに存在しています。

 

命は尊いものであり、これを与えてくれた天を敬い、同じ隣人を自分の家族のように愛し、他の国々ともいたわり合えば、争いごとはおこりません。

 

そして西郷どんは、「政の大体は、文を興し、武を振ひ、農を励ますの三つに在り。」その他のものは、この三つを助ける手段であり、国づくりの基本を考えました。

 

今でも、文(教育)、武(国防)、農(産業)は、いまの日本に全く通るテーマでしょう。

 

明治維新は革命ではないという人もいますが、よくみると、これも自分の命を賭けた戦いであり、日本が近代になる過渡期であり、やはり革命といえましょう。

 

「西郷どん」を見て、わくわくするものを感じる日本国民は多いのではないでしょうか。そんな日本の為に、政治も尽力をつくしてもらいたいものかと思います。

 


 

所長のひとこと
利他に生きる

2018.5.1


税理士という仕事は崇高で、税に関する唯一の士業である。今年も確定申告業務を終える頃、ホッとつく間もなく新しい税制も出てきて、またその準備にそなえるといったこのごろである。といいつつ、今年の1月に「新年におもう」をupして以来、4ヵ月を経てしまった。明日からはゴールデンウィークに入る。この時期に、まずは更新
します。


さて、最近多くの日本人が利他に目覚めた記事を目にすることが多い。「人」という文字は、人は人によって支えられている存在であることを示している。事実、この世に一人で生きている人は一人もいない。言い換えれば、人は皆、利他の心によって生かされているのである。利他の心は、人間が生きていく上での必須条件といえる。


孔子は仁(思いやりの心)を説き、釈迦は慈悲を説き、キリストは愛を説いた。ともすれば利己に染まりがちな心を是正すべく、人間存在の本質は利他にあることをその一語で端的に示したのだろう。仁。慈悲。愛。三聖人の説くところは、一つである。


また、我が日本にも利他に生きた人がたくさんいる。二宮尊徳もその一人である。尊徳は、「二宮翁夜話」の中でこう言っている。「人間の体の組み立てを見なさい。人の手はわが方に向いてわが為に便利にできているが、向こうに向けて押してやることもできるようになっている。鳥獣の手はこれに反して、自分の方へ掻くことしかできないようにできている。だから人たる者は、他の為に押し譲るという道があるのだ。それを自分の為に取る事ばかりに努力して、他の為に譲ることを忘れてしまった者は、人にして人にあらず、と同じである。恥ずかしいことではないか。ただ恥ずかしいだけではなくて、天理に反することであるから、ついには滅亡するだろう。」


五歳の時にが氾濫・所有の田畑を流され、貧困のどん底から一家を再興したのみならず、六百余の貧しい村を立て直した人の言葉は、利他に生きる事の大事を説いて明快そのものである。


また、最後に二人の先達の言葉を思い出す。森信三先生の、「はやがてに転ぜばならぬ。そして還相の極はしであり、奉仕である。」往相とは自分を創る道、還相とは人に役立つ道である。自己を創った後は人に役立つ道に生きよ、との教えである。


坂村真民先生は、いい言葉を残している。

「どんないい果物でも 熟さなければ 食べられない それと同じく どんな偉い人でも 利他の心がなければ 本ものとは言えない」

 

私たちもこういう先達の言葉を範に、天理にかなった生き方を目指していきたい。

 


 

所長のひとこと

「新年におもう」

2018.1.1



平成三十年は、静かに明けました。新たな年の始めに、新しい誓いとか新しい抱負をもちたいと思いますが、今年は自分の人生の原点であるものを、探してみる年にしたいと思います。

 

人生の原点とは何か。それは、仕事をはなれた人生などありえないということであり、仕事に真正面から向き合う事を、もう一度考えてみたいということであります。

 

仕事の好きな人は、いつまでも若く、年をとらないという。なぜか。それは、若いからこそ今日よりも明日、明日よりもあさってに向かって生きたいと強く思うからではないでしょうか。

 

そして、仕事には苦労はあって当然であるが、その苦労を楽しむという姿がみえてくると、本ものになれそうな気がする。

 

自ら発心して、仕事に打ち込むと全てのやらされ感、悲愴感などは微塵もない領域に達するのであろう。ここは大事なポイントである。

 

やらされ感で仕事をやっている限り、いくら努力しても、その努力は何の実りももたらさない。

 

イチローの高校時代の野球部監督・中村豪さんの言葉に「やらされている百発よりやる気の一発」というのがある。選手がやらされている意識で練習しているのでは、いくら熱を入れて指導しても何の進歩もない。選手がやる気で練習に取り組めば、たとえ短時間でもやらされてやる練習の百倍にも勝る。このことを誰に言わずとも実践したのが、イチローなのだろう。

 

一流の人は一流の仕事観を持ち、一流になる働き方をしている様に思う。

 

最後に、森信三氏の言葉をかみしめたい。

「たとえ時代がいかに推移し展開しようとも、人は自らの職業を天より与えられた わが使命達成の方途として、これに対して、自分の全身全霊を捧げるところに人生の真の幸福は与えられる」と。

 

平成三十年、私は私の仕事を、根本から見直してみたい。

 


 

 

所長のひとこと
「今の世界経済の実体とは」
2017年12月1日


 世の中に出回る現金・預金(世界の通貨供給量)は、はたしてどうなっているのであろうか。
 世界の中央銀行は、あふれるようなお金を流してきた。なのに、企業や家計は貯蓄に励むばかりで、経済成長は弱々しい。謎めいた停滞の解が出ぬまま、欧米の金融緩和は終わりに向かい、世界は少し身構える様に思える。

 

 世界の通貨供給量は、実体経済の規模を上回るペースで膨らんでいる。世界銀行の統計をもとに算出した2016年の通貨供給量は、87、9兆ドル(約1京円)だ。

(1京円とは、1万円分の1万倍が1億円、1億円の1万倍が1兆円、1兆円の1万倍が1京円)
世界の総生産(GDP)総額よりも16%多い。

 

 2000年代半ばまでの半世紀、マネーの増加は実体経済の成長とほぼ軌を一にしてきた。それが2009年以降は、マネーがGDPを大きく上回るようになった。乖離は年々鮮明になっている。

 

 起点は、2008年9月15日のリーマン危機後に主要中央銀行が推し進めた、金融緩和である。
 経済がしぼむ中で、お金を流す蛇口を思い切り広げた結果、世界の通貨供給量は2006年からの10年間で、76%も膨らんだ結果となる。日米とユーロ圏の中央銀行が供給した資金量は、10年前の4倍に達している。

 

 低金利に干上がったマネーの一部は、金融商品や不動産市場に流れ込んだ。2009年春に30兆ドルを割り込んでいた世界の株式時価総額は、過去最大の83兆ドルに増加。資産価格を押し上げ、自己増殖の色彩を強めてきたのである。

 

 本来マネーの量はGDPとほぼ同じだったが、ダブつくマネーの供給量がそれと比して増加しているのが、今の世界経済である。

 さて、だからこそFRBは緩和の出口を急ぎ過ぎない配慮を示すことが求められる。

 

 また、大きな波紋を引き起こしかねないのが、中国の引き締めである。中国人民銀行は、人民元の供給量(マネーサプライ)を2008年の47兆元(802兆円)から2016年には155兆元(2645兆円)に膨らませた。中立を意味する「穏健」の看板とは裏腹に、緩和の足並みを米国とそろえてきたが、今後は引き締めで米国を追いかける。

 

 中国当局の意向が背後にあるのであろうが、今日的な背景を考えると、2008年のリーマンショックへの対処でFRBが増やした大量のドルが世界のあちこちに行き着いた今、どう読み、対処していくかに注目が集まるところである。

 

 いずれにしても、「100年に1度」と評されたリーマン危機の衝撃は大胆な金融緩和でしのいだが、世界の中央銀行は緩和をなかなかやめられない背景がある。

 

 世の中に行き渡るお金を増やしても経済の体温が高まらず、物価が上がらない現実の前に出口戦力が求められる今、どうかじ取りをしていくか関心が集まるところである。

 

 米株市場は今、投資アドバイザーを対象に行った調査結果では、強気派の割合が1987年の「ブラックマンデー」の数ヵ月前以来の高水準となっている様である。

 

 思い出されるのは米国の著名な投資家だった、故 ジョン・テンプルトン氏の投資において最も危険な4つの単語である。(This time is different = 今回だけは違う)だ。

 

 過剰な楽観への注意、いましめである。

 


 

所長のひとこと
時代を読む とは
2017年11月1日

 

    今年も衆議院総選挙が行われましたが、どの政治家も当面の課題は語っていましたが、10年後、20年後のビジョンを真剣に語る人はいなかった様に思う。目先の1票が欲しいのが今の政治家である。

 

 福沢諭吉は、その著書「学問のすすめ」で混迷する日本で、新撰組 副長・土方歳三や三菱の創業者・岩崎弥太郎と同じ年であるが(1835年 生まれ)、同世代の若者のように尊王攘夷運動や維新倒幕運動にはまったく関心を示さず、その先にある日本の近代化への道筋を考えていた。そして、今は時代に翻弄されることなく学問を学ぶべきであると、力説したのである。

 

 当時 340万部売れた。当時の日本の人口が3,500万人とすれば、約10人に1人がこの本を持っていたことになる。

 

 時代を読むとは、不易流行が基本でなければならない。
いつの時代にも変わらぬ真理が不易であり、時代に対応して変化していくのが流行である。

 

 そして、諭吉はその中で、5つの大切なことをいっている。


・世の中で一番みにくいことは、他人の生活をうらやむことである。

・世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事をもつことである。

・世の中で一番尊いことは、人のために奉仕し、決して恩にきせないことである。

・世の中で一番悲しいことは、うそをつくことである。

・そして、世の中で一番美しいことは、すべてのものに愛情をもつことである。


今の日本、そして日本人は、たった150年前にこういうすばらしい指導者がいたことを思い、じっくり腰を落ち着けて、仕事に打ち込むべきであろう。
ふと思うこのごろである。

 


 

所長のひとこと
素直と感謝
2017年10月1日


 京都・東山の南禅寺前に、真々庵という千数百坪の庭園がある。松下幸之助がこよなく愛した庵である。
 この真々庵の一角、こんもりと木々が茂中に、「根源の社」がある。伊勢神宮の内宮本殿を、八分の一の大きさに模した社である。

    この根源の社が、松下幸之助の思想の原点である。

この社の中には、神様のお礼は入ってこない。ご本尊となるような仏像もない。社の中には「根源」の二文字を書いた、小さな板があるだけ。

 

    そこで松下幸之助は、「宇宙根源の中は、万物生成発展の法則にのっとって働いている」と信じ、常にすべてのものを生かそうと働いている。その目に見えない力を指して「根源」と言い表したのである。

 

    松下幸之助に、ついていた人が「毎回、何を祈っておられるのですか?」と聞いたことがある。

松下幸之助は、そうやな、二つのことを祈っていると、答えたそうである。
「まず、素直な心になること」、そして「もう一つは、感謝や」。
 この素直さ、この感謝について、もう一度考えてみたい。

 

    これからの人生、何も急ぐことはない。あわてることもない。

与えられた人生を、楽しく、人の為になる生き方をしたいものである。素直と感謝にその源がある様に思える。

 


 


私の見性とは何か!
平成29年9月1日


 人生は、悩むことと、ゆき止まりの連続である。

 

    まして、俗世に生きる私も、その連続の中に身を置いている。しかし、この世には立派に修行し、悟りを開いて、なおかつ修行を続けておられる人もいる。

 

 平成二十八年は、鈴木大拙居士の没後五十年にあたるそうである。
    

    大拙居士は、若き日に、円覚寺において当時の管長 今北洪川老師に参禅し、洪川老師が亡くなってからは、そのお弟子の釈宗演老師に長年参禅されたそうである。釈宗演老師の勧めによって渡米し、その深い禅体験をもとに、仏教や禅の書物をたくさん英訳され、禅の教えを広く世界に広められたそうである。そして、その書物は、今も多くの人に読まれているという。

 

    その大拙居士が晩年のこと、ある修行の学生が「先生の見性とはどういうものですか」と尋ねられた。大拙居士は、「衆生無辺誓願度がわしの見性だな」と答えられたという。

 

    「見性」とは「を見る」ことであり、禅門では、各々の本性を見ることとして、「悟り」のことを表す言葉として用いられている。禅の修行をする者は、誰しも「悟り」を目指している。自ら禅を修め、さらに世界に仏教を広められた稀代の学者に、若き求道の学生が、悟りとは何かを質問したのである。
 

    それに対する大拙居士の答えが「衆生無辺誓願度」であった。
 

    いのちあるものは限りないけれども、誓って救われんことを願う。人のために尽くそうという願いを持つことであるという。

 

 人生、生きている限り、かくありたい、仏性につつまれて生きたいものである。

 

    今年の夏(2017年夏)は、ことの他に暑い日が続いている。この生を、人の為に尽くすことの大切さを、教えられた思いである。

 


 

無量のいのち

平成二十九年 八月盛夏

    今年の夏は暑い、ただひたすらに暑い。
    だからこんな夏こそ、じっと本当の自分を求めて、心静かに自分を見つめる絶好の機会だかもしれない。

 

 「本来の面目」「本当の自分」とは何であろうか。

 

 TKCの飯塚真玄会長から、送られてきた本がある。横田南領 円覚寺管長著「人生を照らす禅の言葉」である。

 

    その中の、道を求めるの中に、松原泰道先生の教えがある。松原泰道先生は、よく坐禅の「坐」という字を見なさいと言われたそうである。「坐」という字は、土の上に人を二つ書く。

 

    「坐るという字に二つ人がいる。一つは感情のままに流されてしまう弱い自分であり、自我である。もう一つの人は、この弱い自分、感情のままに流されてしまっている自分を冷静に見据える、もう一人の自分なのだ。」

 

と教えて下さったそうである。

 

「そして、坐禅というのは、この自分の中にいるもう一人の自分と出会うことだ。」

 

と説かれたそうである。

 

 「禅の修行も心の鍛錬も、何も心が強い人だけがするものではありません。
 あなたが、自分のことを泣いたり喜んだり、怒ったりすねたりと、ずいぶんたくさんの心を持っているが、どれが本当のあなたなのでしょうか。どれもその時々の一時の感情にすぎないのではありませんか。
 
そんな一時の感情を苦にしなくてもいいのです。
 それよりも、いま自分は泣いていると自分を認める、気が付いている、もう一人の自分があなたの中にいることに気が付いたことがありますか。
 
今、僕が喜んでいると、喜んでいる自分を知るもう一人の自分が、あなたの心の中にいることを考えて下さい。
 このもう一人の自分を身体で学ぶのが禅の修行なのです。だから、本当に自分を学びたいという熱意さえあれば、誰にでも禅の修行はできるものです。」

 

と教えられたそうである。これが、泰道先生の「一期一会」という書物に載せられているそうである。

 

    呼吸を整えよう整えようとするよりも、静かに見つめていると自然と整ってくるものだそうである。
 

    感情の波も同じで、静かに見つめていることによって収まってくる。そして、その静かに見つめているものこそ、もう一人の自分である。

 

    さらに、泰道先生は、

 

「それは父と母から授かったいのちである。しかし、父母もまたその父と母からいのちを授かっている。さらに、その父母とさかのぼってゆけばきりがない。無限に遠い過去から受け継いだいのちである。めいめいの心の奥にはそんな素晴らしい宝がある。生まれながらに持っている誰にも奪われることのない宝である。
 それこそが、本来の面目(本当の自分)にほかならない。」


と、教えている。

 

世間を騒がす昨今の情勢の中で、心に染み入る教えに耳を傾けるのも、また楽しいことである。

 

 


 

所長のひとこと

復活

2017年7月1日

 

 人は年をとると、無名でいられない。

私はこの地域に生まれ、育ち、今、こうして、生きている。というより、生かされている。

 

 この地域では、区長の指名がかかると、会計・副区長・区長と3年の任期を無事に務めなければならない。2017年に入って区長になり、その業務の多忙さに追われ、HPの所長のひとことを半年休んでしまった。

 

 しかし、やっと落ち着いてきたので、7月より所長のひとことをupしていくことにした。

地域人とは、まさに生活の足もとの足もとである。その為に、生涯人生を全うする人も多くおられます。

 

 しかし、私は地域人であること。そして、日本人であること、さらに国際人であることは矛盾しないことであるとつくづく思える。

 

 今、こうして一地域に入り、区民1,300人、世帯数420くらいの全責任者区長として、様々な仕事をこなしていますが、やってみて大変良かったなと思える日を過ごしている。

 幼時から小学生、中学生、若い人、壮年の人、そして高齢な人までいろんな人がいる。中には、すぐに区に文句を言ってくるクレーマーの様な人もいる。

 今、気づくことは、何でもハイッ・ハイッと聞く耳をもつことである。そうした力も、大変な能力だと思える様になってきた。

 あと半年で区長が終わりになりますが、この間、大きな災害とか天変地異を動かす事が起きないとも限りません。

 

 地域の勉強をすると、たいへんいろんなことを学べると思う。

 利害ではなく本当の地域の為に生きる人、生かされる人、いろんな人との関わりの中で、みんな同じ仲間として生きている様にも思える。

 互いの人間性を尊重しながら互いを認め合って生きる。これも大切なことの様に思える。

 

 しかし、今の日本は、

一人一人の国民に、日本人の良さとは、日本人の耐える力、日本人の誇りをもっともっと意識しないといけない。

そうした意味でも、今、我々に問われているのは、日本人であることをかみしめることも大切に思える。

 

 そしてもうひとつ、これだけ国際的なグローバリゼーションが進みますと、さらに大切なことは、良き国際人になることも大切である様に思える。

 また、こうして、HPの所長のひとことを復活できました事を、ひとえに幸せと感じ、これからも毎月、所長のひとことを書いていきます。

 


 

ゴルフ友達 

 

今年の夏、税理士を開業して30年日本税理士連合会から30年表彰を受けました。

 

また同じ年にTKC中部会からも30年在籍の表彰を受けました。何か実感はないが、30年よくやってきたものであると思う。

 

ちょうど開業したころ、ゴルフを始めたものである。当時は一人で仕事をやっていたもので、確定申告期には5日ぐらい徹夜をして、フラフラの体でゴルフに誘われ参加したものである。それは決まって、3月16日であった様に思う。

 

あれは徹夜つづきの体に、どしゃぶりのゴルフであった。

 

18ホール回った後、家へ帰ってバタンと倒れた事を思い出す。風邪をひき3日間くらい高熱でうなされたことを覚えている。しかし、ゴルフほど楽しいものはないと思っていた。

 

時あたかもバブル期の全盛期、なけなしの金と借金をして、一流ゴルフクラブの会員権を3,000万円近い価格で購入した。

 

以来、CクラスからBクラスへと、順調に毎週土曜日はゴルフ場でゴルフにいそしんだものである。Aクラスも手につかめそうな気がした。

 

仲間も大勢いた。ゴルフを語ったら深夜まで及ぶ友達もいた。しかも、HCも順調に下がっていった。練習もした。どんな、ゴルフ場でもやってみたくて、足を運んだ気がする。

 

そして腰痛のギックリ腰にやられた。しかし、半年で回復したらまた再開した。事務所のコンペも15回連続でやってきた。が、腰痛は過酷であった。HCは16でストップしたまま。

 

2年前に今度は、六十肩で肩があがらなくなってしまった。1年半はゴルフクラブを封印した。しかし、最近になってまたゴルフを始めた。やれば楽しいのである。以前の様に飛ばなくても、心の底から楽しいのである。

 

長男とは2バックでよく回った。小学生からはじめて今もよく回っている。どんどん飛距離で離されていくのであるが、ゴルフはあがってナンボと口でいいながら、18ホールを上がって、楽しい一日をよく過ごした。

 

そして最近は、ゴルフを誘ってくれる友もめっきり減った。私のせいである。

 

ゴルフの誘いを体のせいにして、断ってばかりいたのが原因である。

 

いけないことは即、改めるのが私の流儀。しかし、自治区の役をうけたこの3年間は、思う様にゴルフはできないが、誘われれば断らないでいようと思う。

 

私の愛読書に月刊ゴルフコミックがある。その中でも「キャディ愛」には涙がこぼれる程、感動したりしている。‘16年11月号にも感動した。

 

あるゴルフの友をクモ膜下出血で亡くした65才の男性(いつも遺書を胸にしまって生きている)に、74才の老人が話をする。

「時は1935年 アイルランドの名門コース、ラビンチゴルフクラブで毎年10月に1度だけマッチプレーを戦った2人のゴルファーがいたんです。

かつてアイルランドのラグビー界で鳴らした【怪力】ことジョン・マルカムと、綿密にボールを運ぶことに長けた【近眼】ことバード・イッチ。

彼らは戦争をはさみ、50数年にわたって年1回のマッチプレーを戦った。

やがてふたりは年老いた。【近眼】はピンがまったく見えなくなり、【怪力】は手の震えでまともに球が打てなくなった。

    【近眼】が言ったそうです。

    『さて、どうする?ゴルフはもうやめにするかね?』

    【怪力】が答える。

    『こいつをやめたら、すぐ死んでしまうような気がしてな』

    『わしもだ。じゃあ、来年』

    『それまで達者でな』

    そう…ゴルフはいいライバルが1人いれば十分…という話です」 と。

 

その男は、死んだ友人との重ねたゴルフが心の支えになっていた。

また明日もがんばろうと思わせてくれていた。友人がいなくなって、好きなゴルフをしてもう少しだけ元気になろうと思っていたけど、やっぱり無理だった。

と、思っていた時に、たまたまこの74才の老人と同スコアであったことから老人に、

もう一度、私のライバルになってくれと声をかけられる。

そして最後に、俺…もう少しこっちで頑張ってみるよ。

 

で、終わる話でした。

 

思えば、私にもやはり失いがたいゴルフの友人はいる。また、可能な限りやっていこうと思う。


 

晩成を汚すな!

 

 

人生にはいくつかの節目がある。

私もその時々に悩み、もがきながら生きてきた。

 

仕事を決める時、結婚、独立、子供を持った時、そして子供の旅立ち、

その間いくつかのトラブルもあり、迷いもあった。

しかし大切な事は、生きているまぎれもない事実への確認と、生きながらえることのすばらしさにいつも感動しながら生きてきた気がする。

 

大切なことは、同じ日は一日もないということであり、

だからこそ今日の一日を精一杯生きねばならないということであった。

そしてさらに大切な事は、今と、そしてこれからを、

いかに生きるかであると思う。

 

私一人が存在しているのではなく、いろんな人の力によって

支えられて生きているからこそ、

私は孤独であるわけではないということである。

その為にもこれからをどう生きるか、いつも考えるのである。

 

坂村真民先生の最晩年の詩に感動を覚える。

「しっかりしろ しんみん」と自ら鞭打って、「七字のうた」がある。

  

「 よわねをはくな

  くよくよするな

  なきごとをいうな

  うしろをむくな  」

 

私は、これから晩成期に入るが、まだまだやることがあり、

やり残した事も多くある。

 

「晩成を汚すな!」

かつて、私の師に言われたことばである。


 

2016 10月14日

自他一如とは

 

最近になって思うことは、人の為に生きるとは、どういうことかと考えるようになりました。
山田無文老師のことばに、気づかされる事がありました。
それは、ある若い学生が聞いたそうです。
「自分は自分がわからない。自分とはいったい何でしょうか?」と。
老師は、「そうだな。まあ君は、これから少し自分のことを勘定に入れないで、何か人様のために一所懸命働いてみる、尽くしてみることだ。とにかく、一所懸命人様のために何かやって差し上げることだ。
そして、ああ良かったな、喜んでもらって良かったなと感じる自分がもしあれば、それこそ真の自分だ」と。
この無文老師の言葉というものの中に、自他一如の世界、仏心のあり方を実に平易に端的にお説きくださっています。人が生きるとは、こういう気持ちが大切なのですね。

 

そして、人とどう接していくかについても、年をとると、それはそれで悩める人は多くいます。無文老師が若者の可能性は、はかり知れないと思い、若者の悩みにも、ズバッと答えるのも、決して若者を侮らず、これからの人がいまの自分たちに及ばないなどと決めつけずに心で接する、そんな答えが、はたして、私にいえるだろうか。
人の為に生きることとは、自分をよく知ることとその中で、生ある限りを必死で生きることであると思った次第です。

 

「我を忘れて 人の為 まごころこめてつくすこそ 常に変わらぬ楽しみぞ」
延命十句観音和讃より

2016年9月1日 Part 3

 

プロ七ヶ条 

  1. プロとは 仕事に全力を尽くす人である

  1. プロとは 自分の仕事に誇りを持つ人である

  1. プロとは 先を読んで仕事をする人である

  1. プロとは 仕事にムラのない人である

  1. プロとは 笑顔で気配りができる人である

  1. プロとは 成果に責任を持つ人である

  2. プロとは 能力向上のために常に努力する人である


2016年9月1日 Part 2

 

プロとアマチュアどう違う?



【 プ ロ 】

・成長を求め続ける

・自信と誇りを持つ

・常に明確な目標を指向する

・可能性に挑戦する

・自己訓練を習慣化している

・使命感を持つ

・やれる方法を考える

 

【アマチュア】

・現状に甘える

・愚痴っぽい

・目標が漠然としている

・経験だけで生きる

・気まぐれである

・途中で投げ出す

・できない訳を探す

 


 

2016年9月1日 Part 1

 

プロの自覚

  • リスクを冒しても挑み続ける覚悟
  • 挑んで夢破れてもその現実を受け入れる覚悟

 

    それがプロとアマチュアの違いなのかもしれません。

ある人にお会いした時に、私の知人の息子さんが政治家になりたいというので、ある大物政治家と親しい人を紹介してもらったことがある。

 

    その時、その方は、即ある大物政治家のお宅につれていかれて、庭でもくもくと草取りをする二人の書生さんの姿を見せて、「君に、どんな事があっても信じて貫く覚悟がありますか?」と一言いわれた。

 

 聞けばその大物政治家とは、かつて保守本流をひた歩き、将来嘱望されたのに、あまりの破壊的行動に、世論まで敵に回し、今では本流のかけらも感じない、政治家のことであり。そこで懸命に庭の草取りをしていた書生とは、東大を首席で出た男子と、一流私大の法学部を首席で出た女子だという。世間がどうみようと二人はその大物政治家を心から信じきって、自分の道、政治家になるという覚悟を決めているという。

 2016年8月15日 

 

租税回避行為とは、節税行為、脱税行為とのちがいは何か

 

租税回避行為とは、

当事者において真実その有効な法律効果を期待するため

司法上は適法であるが、

そこに社会通念と一致しない経済的に異常不合理性が認められ、

その結果、租税回避に結びつくものをいう。

(その結果として通常用いられる法形式に対応する課税要件の充足を免れ税負担の軽減を図る行為をいう)。

 

特長は、第一に、課税要件が充足されていないこと、納税義務の成立がないので、脱税行為とは異なる。

 

第二に、税負担の軽減が不当なことである。不当でなければ節税行為であるところ、租税回避行為は経済的または法的に同一の状況であれば同様に課税されるべきであるとする負担の公平・平等取扱・原則に反する。

いわば、節税と脱税の中間に位置するといえるものの、実際の行為がいずれに該当するかを判断することは困難である。

 

 租税回避行為は、その不当性ゆえに租税法上に否認規定が置かれることが多く、税負担の軽減が達成されないことがある。

 

 

 

 


 

2016年8月1日 

政治資金規正法とは

 

今年の夏、舛添東京都知事の一連の疑惑を、報道機関各社は激しく取り上げ批判していた。

確かに政治資金規正法をめぐる法律問題は数多くあり、また国会議員とか地方自治の首長という立場の人がした行為であり、身近でもあり話題性もありで、マスコミ各社は毎日のように毎時間のように取り上げていた。

 

しかし政治資金規正とは何なのかについては、知らないことが多いのではないか。法のあらましについて、若干のコメントを加えてみる。

 

まず政治資金規正法の目的とは

議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が、国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため

 

①    政治団体の届出

②    政治団体に係る政治資金の収支の公開

③    政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正

④    その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もって民主政治の健全な発達に寄与することを目的としている

 

そして政治資金を規正する基本的考え方として大きく分けて、

①    政治資金の収支の公開 と

②    政治資金の授受の規正等 に分けられる。

 

政治資金の収支の公開とは

政治団体に設立の届出等を義務付けるとともに、1年間の政治団体の収入、支出及び資産等を記載した収支報告書の提出を政治団体に義務付け、これを公開することによって政治資金の収支の状況を国民の前に明らかにすることである。

 

一方、政治資金の授受の規正等とは

政治活動に関する寄附(政治団体に対してなされる寄附又は公職の候補者の政治活動に関してされる寄附をいう)等について、対象者による制限や量的、質的制限などを行うことをいう。

以上の2つがあり、具体的には次の図の様になっている。

※収支報告の適性の確保等の観点から、政治団体の区分に応じ、次のような特例がある。

○政党・政治資金団体

・自主監査及び収支報告書に監査意見書を添付

○資金管理団体

・収支報告に関する特例(人件費以外の経常経費の明細、保有不動産等の利用状況)

○国会議員関係政治団体

・収支報告に関する特例(人件費以外の経常経費の明細)

・登録政治資金監査人による政治資金監査及び政治資金監査報告書を添付

・少額領収書等の写しの開示制度

 

以上まず政治資金規正法のあらましとして、目的、基本的考え方を取り上げました。たいへん複雑でわかりにくいといわれる法律であるが、正しく運用されて、民主政治の健全な発達に寄与することを願ってやまないところである。


 

2016年7月15日

相田みつをさんの有名なことばに、いつも心の感動をおぼえます。

 

 花を支える枝

 枝を支える幹

 幹を支える根

 根はみえねんだなあ

 

人間は誰も上にのびること、外で美しく咲くこと、花を咲かせツンと誇示した姿、葉の茂った枝などにすぐに目がいきがちであります。

 その幹を支える土の中深く張って、水分を補給したり、栄養分を採り入れている一番かんじんな根のことを忘れがちであります。

 そしてこのことに気がつくと表面に出ていることが本当に外面だけであって、本当の内面の大切さが人の目に見えない土の中の奥深いところでうごめいている根である事に気が付いた時、また人間のもつ奥の深さに気づき、根だけが知る静かで寛容で豊かな充実感が持てるようになる気がします。

最近になってこのことが若干わかる様になってきました。

 

 

2016年7月1日

FinTech時代を、我々税理士はどう考え行動すべきであろうか。

 

金融機関は時代の流れ、とりわけ経済情勢の流れと、その影響の中で大きく変化をとげている。

今の経済情勢は、新興国不安の波及経路と先進国経済の減速によって、金融市場の混乱を招き、世界的な株価下落がクレジットスプレッドの拡大を招き、世界連鎖不況への警戒によってさらにグローバルな金融緩和圧力となっているという図式である。

 

もっと簡単にいえば、中国経済の減速が中国株の下落を招き、人民元安をあおり、グローバルな原油の供給超過によって、原油価格の下落につながり、それがさらに新興国、資源国の減速になり、外需の悪化が金融市場の混乱と先進国経済の減速になった様相という図式である。

 

株式に目を転じれば、外需株はひさんの下落であり、内需だけが若干持ち直しているという状況である。

 

これによって金融各社の資金運用益も対前年で半分以下に落ち込んだところは、ざらにある。

 

こういう状況下にあって、金融各界は新しい事に目を転じ、企業経営に力を入れ、デフレ脱却を急ぐあまりに、一旦は金融緩和をやむなくしていく事で局面打開をはかっている。

 

FinTechサービスも、新しい造語としてFinance Technology として、いかにしてその利便性を駆使して、金融各社が飛びつく形で、話がすすんでいます。

 

それは金融庁が平成26年9月に発表した「金融モニタリング基本方針」にさかのぼるといわれています。「事業性評価」を重視するあまりに、企業各社の持続可能性を含む事業性を重視して融資を行うという観点から、取引先を常時モニタリングできる機能を持つクラウド会計との接点が発生したようである。

 

しかしここに安易に融資時に決算書の信頼性を最も重視する金融機関が、クラウド会計によって作成された日々の仕訳や、その結果導き出された決算書を、本当に信頼性の高いものと評価するには、論理的飛躍があるのではないか。

 

我々職業会計人から見れば、二重にも三重にもなるどう考えても解せない決算整理仕訳が出てきたり、発生主義とは名ばかりの整合性のあわない、現金主義計上がなされていたり、費用収益対応も全く理由がみられない決算整理仕訳が出てきたりしたクラウド会計に信頼性は皆無としかいいようのない決算をどう説明するのか。

 

やはり決算とは月次巡回監査によって、現場で帳簿の取引を1つ1つ確認して正しい事実認識と、取引事実を確認して、はじめて信頼性の高い決算が作成できるものではないのだろうか。利便性だけで大きな目的(正しい決算を行う)を、決してゆがめてはならないのである。

 

巡回監査の実践に裏付けられたFinTechサービスから導き出される決算書を私達税理士は作るところに、そもそも税の専門家としての存在意義があることに、何ら変わりはないはずである。

またFinTech時代の我々税理士が行動すべき原点もそこにあることには、何ら変わりはないはずである。

 

 

 

2016年6月

 

 平成28年も、この前新年を迎えたと思ったら早6月水無月の半ばを迎えようとしています。

 6月は、私の誕生日、私も今年の6月22日で60才代の半ばすぎになります。

 人生の終末期と考える人もいますが、今を生きる考え方からするならば、まだまだ今を充実して生きたいと思う一人であります。

 過去にとらわれるよりも、未来を憂うよりも、ただ今をひたすらに生きよとは、誰かのことばだったと思いますが、今を集中し、今をより豊かに生きるのが人生ならば、目の前の今をけんめいに生きるのが人生かもしれませんね。

 我々をとりまく社会のルールも、日々変化したり、いろんな色づけをして流れておりますが、それでも変わらない不変のルールに思いをはせ、はたして私に不易の覚悟はあるだろうかとふと思うこのごろであります。

 この先人生一税理士を貫き通す為には、事務所の職員もクライアントのお客様も、不自由しないように承継をうまくやっておかねばならないと思うこのごろです。

 今、この地域では、夜になると水のはられた水田にゲロゲロと鳴くかえるの合唱で若干さわがしくなっていますが、私の少年期にはそれに蛍の光が点灯し、すばらしい風情でありました。

 今は4代目プリウスで生産が多忙なトヨタ自動車の堤工場の光が、それでも気休めに心を潤してくれています。

 そういえばもうじき私も4代目プリウスが納車されるこのごろです。また楽しみでもあります。

 皆様の御健康と御多幸を心よりお祈り申し上げます。

 

平成28年 6月

 

2016年1月

 

    謹んで新年のご祝詞を申し上げます

    世相は、利害と利己心と損得など荒廃した日本の現実ばかりを取り上げていますが、よくみると

そうではなくて日本人の心には、協調・友和そして寛容の大切さ、人の為に何をすべきかという仏性の

大切さを求める方向に向かっている様に思えます。

    正岡子規が死の直前まで書きつづけた随筆集「病牀六尺」に「悟りといふ事は如何なる場合にも

平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも

平気で生きて居る事であった」といっています。

    本年が皆様にとりまして今日の一日を大切に生きるよき一年であります様に心をこめてお祈り申し上げます。

 

二〇一六年 元旦

 

 

2014年8月

 

拝啓 残暑お見舞い申し上げます。

    今年の夏も台風と梅雨前線の影響で日本国中がたいへんな被害をうけました。被災地の方々

また被害にあわれた皆様方には心より御見舞い申し上げます。

    さて今年の夏休みは、当事務所では思い切って旅行休みの代休と夏休みをつけ加えて12日から6連休となりました。

    私も家内と旅行のツアーに参加してきました。行く先は四国です。旅のメインは、高知YOSAKOIと

徳島阿波おどりを一気に見てこようというものでした。伝統のおどり連のすばらしさに目をうばわれました。ツアーならではの、

さじき席での鑑賞ということもあり、本当にたっぷりとたんのうできました。


    3日目は、お宿が金刀比羅宮(こんぴらさん)の近くだったので、朝早く起きて本殿までの785段(ナヤムひく1)の階段を

のぼり、参拝ができました。

    そして瀬戸大橋の景観をながめながら倉敷に立ちより、岡山駅から新幹線で名古屋に帰りました。

    今回の旅は、とてもよいリフレッシュできた事、四国の歴史と現代の活性化に感動して、より近い四国を感じて帰れた事

が、心地よい想い出になりました。

    次に訪れるとしたら、弘法大師に抱かれてお遍路の旅に出る時だろうと思いながら、四国を後にした旅でした。

    人はいつもプラスの事を口ずさんでいれば願いがかないます。口に十(プラス)と書いて叶う(かなう)といいます。

残暑厳しい2014年8月15日
敬具

 

 

2014年1月

 

    みな様、新年あけましておめでとうございます。今年一年は、また様々な事がある多難な年になると思いますが、

一年を馬のごとく無事に疾け抜ける年にしたいものであります。

    どうかみな様方にとりましても、よい一年である事を心よりお祈り申し上げます。

    私のお正月は、ここ3年間は東京で迎えております。今年も家内と、東京庭のホテルで迎えました。

初詣は靖国神社にしました。「永遠の0」を読み、どうしても靖国に行きたい衝動にかられました。「遊就館」で

二時間すごしました。ぜひとも、一度は行かれることを勧めたいところでした。

    さて、今年私は心のあり方について、新年に決めた事があります。一年間、「怒らない」。

怒ることで、自分を見失うこと、真の仏性から遠くはなれてしまうことであります。

    そして次に「謙虚」というものを自分にあてはめて今後残された人生の活路にしてみるということであります。

    過去のプライドは全て捨てる。本当の自分のゴールを再度見直してみるということであります。

    楽なる人生、こだわり、とらわれ、かたよりを廃して、本当に自分のゴールをみつめなおそうということであります。


    三番目にゴルフ人生をもう一度一から見つめなおし、やりなおしてみようということであります。

    昨年は4月まで腰痛の為にラウンドを中止していました。そして4月からはせきを切ったようにゴルフに楽しみを見い出した様

に思います。ミート率を高めること、イントゥインでドローボールになった事、スピン量も抑えられた事等々で、念願の飛距離

が20~25Y伸びた事でした。今年は最低60ラウンドを消化してみたいと思っています。その為には週2~3回の練習も欠かさ

ないと決めました。

    そして何よりもゴルフを通じてゴルフ友達への感謝も見つめなおしてみたいと思っています。

    そして四つ目に、過去3年続いている英会話であります。今年は1000時間かけてみようと思っております。ECCは週1で

ネイティブと話すこと、自宅では基礎英語を中心に英語に慣れ親しむことであります。

    今年もkeep studying, keep talking and keep on smilingでがんばります。

    そして最後に一年間、家族を思い、友達を思い、そして職員を思い、「我以外みな我が師」といった宮本武蔵の最後の

独行道を一つの糧として、一年間をすごしてみたいと心に誓いました。

    どうか、本年もよろしくお願い申し上げます。

平成26年1月1日に思うこと

 

 

 

2013年10月

 

    論語と聞くと、古くさく、かた苦しいと決めてかかる人がいます。最初から固定観念で決めつける人にありがちですが、何と不幸なことでしょう。人生は、どこまでも自由に、かたよらず、とらわれず、こだわらない、あるがままを受け入れるレースであります。

    さて、論語は「よりよく生きるヒント」を探すべく、学びて時にこれを習う、またよろこばしからずやといいます。今日の心にひびく論語は、「子曰く、人の己れを知らざることを患えず、人を知らざることを患う」。人が自分の価値を知ってくれないことを気にかけるよりも、自分が人の価値を知らない事を気にかけるべきだという一節です。

 人というものは、自分の能力や力量を周りに認めてもらえないと、不満を抱いて、くよくよと思いわずらうものです。たとえば、同期の人間が、一足先に出世したりするだけで、「なぜ?自分のほうが仕事もできるし、頭もいいのに」などと悔しい思いをすることです。他人に認めてもらえないことを嘆くよりも、他人を理解できず、その真価を認めることができない自分のことを、思い悩むべきだというのが、このことばです。

 人を育てられる人とは、まさにそういう底辺であえぐ世に出ない弟子たちを勇気づける思がある人のことであるということでありましょう。
 人生嘆いているより、自分を磨くのが先!
 嘆いているだけに費やしている程、人生は長くないのだよ。 

 

2013年8月

 

    自民党圧勝に終わった参議院選挙でした。しかし、今日の、今現在の日本の中小零細企業は、本当に景気が回復していないものを感じます。まして、この状況下で消費税が上がったらと考えるだけでぞっとします。9月に経済状況をよく検討した上での、安倍内閣の判断が出るといわれておりますが、まだ他に優先課題が残っている様に思えます。何よりも、景気の実体回復を希求したいものです。

 さて、所長の目線の先に何が見えるか。やはり、その真実の姿を求めたくて、再び所長のつぶやきを再開することにしました。

    今の日本で一番欠けるもの。それは何よりも日本国民という、世界でも優秀で思慮深く謙虚といわれてきた、日本国民の「誇り」の欠如ではないでしょうか。

 

    私は、そのキーは日本国民の哲学の復活にあると信じたい。理念といってもよいかもしれませんが。人としての尊厳とは何か?と問われて、金か、名誉か、地位かと問われてきた時代もありました。そうした近代日本では等しく、日本国民としての誇りと志は高かった様にも思えます。

    今の時代に目を転じてみましょう。TV、新聞では殺人、強盗、人為的非人為的にせよ事故の数々。そんなおよそ「志」とはかけはなれた報道の数々を垣間みます。報道の自由の下に、堕落した報道のあり方、報道に身をおく人の何と常識の欠落したこと。娯楽番組では、これでもかこれでもかとラッシュのバラエティー番組。故大宅壮一氏が言った一言、「TVは一億総白痴を作る」といったことばが忘れられません。

    これからの私を含めての日本人のゆくえを決定するものは何か。それは、国民の意識の高さが全てを解決する決め手になると思えます。

 私は、時代を超えて二千五百年も昔の思想家である孔子の言葉を集めた「論語」を読んで、本当の生き方とは何かを求めてみたいと思います。

2013年8月1日 盛夏

 

2012年7月

 

 なぜ論語なのか?

 現代の日本社会に必要な精神とは何なのか。
 「日本の礎」を築くのに、「教育」がその中心にくる事は当然の事である。昭和24年生まれの私は、学校教育において「論語」を学んではいない。中学校の漢文の時間に、学而篇の冒頭を簡単におさらいした程度である。そして、それは文学として紹介されただけで、徳操として授けられたわけではなかった。

 いったい戦後に、どのような教育改革がなされたのか詳しくは知らないが、ともかくかつては初等教育の要諦であったはずの儒教的徳操が、建国神話もろとも排除されたのはたしかであろう。
 すこぶる短絡的に、戦前の軍国主義と結びつくと考えられたのか、あるいは自由主義国家として再生する障害とみなされたのか、いずれにせよ相互に無思慮で乱暴な話である。

 王仁が「論語」十巻を日本に伝えたのは四世紀の半ばといわれ、仏教の公的な伝来よりずっと早い。
その仏教に深く帰依した聖徳太子も、十七条の憲法を記すにあたっては「和を以って貴しとなす」という、「論語」の一部をまっさきに引用しているのであるから、少なくとも七世紀初めには儒教思想がわが国の徳操となっていったものと思われる。

 徳川時代になると朱子学が奨励され、藩校においても寺子屋においても「論語」は至高の教科書であった。私たち日本人は、「論語」によっておのおのの人格を形成し、社会を構成してきたのである。

 そう考えると、儒教教育の突然の排除は、無思慮で乱暴な話であるといわざるを得まい。私達の世代は、日本人が千数百年も拠って立ってきた道徳を、いきなり取り上げられのである。
昨今の教育現場でおきている様々な問題の正体は、そういうものではないであろうか。

 次回から、論語にふみこみ入ってみよう。

 

2012年3月

 

今、日本で本当に礎とされている「哲学」はあるのだろうか?
失われたニッポン人の精神は何に求め、どうすれば回復できるのであろうか。
 混迷を極める現代だからこそ、人として生きる「道標」が必要である。
 そんな時にふと書店で手にした書物が「論語」でした。

 「論語」とは、今から2500年ほど前に中国の春秋時代を生きた孔子の言行録である。「大学」「中庸」「孟子」と並ぶ、いわゆる四書の筆頭として、中国はもちろん、朝鮮半島やベトナム、日本などの漢文文化圏の人々の道徳観や規範思想に古代から現代に至るまで大きな影響を与え続けている古典中の古典として有名である。また、聖書と並んで世界的なベストセラーであり、王朝時代の字が読めるおおよその中国人ならば必ず読んでおり、日本でも7世紀の聖徳太子による十七条憲法に影響を与え、江戸時代には武士階級の必読書であった。
 孔子が目指したのは「仁」という人間性である。仁とは「思いやり」や「人を愛すること」といった意味で、孔子はそれが備わっている人物のことを君子と呼びました。

 混迷する現代、論語の言葉を一つでも覚えることで、それが信念となり、どんな状況でも乗り越えられ、人を支えてくれるかもしれません。
 私自身、もう一度この書を一から紐解いて読んでみようと思う此の頃です。
 次回から心に響く「論語」を紹介してみたいと思います。
  平成24年3月 吉日

 

2012年1月

 

 2012年、静かに新年が明けました。
 昨年は大自然の猛威に見舞われた一年となりました。そしてその中でうごめく人々にとっては経済の低迷が目につき、政治の混乱と長引くデフレ、さらには円高とが重なりあい、人々の心に重くのしかかった一年となりました。
 そして、静かな新年、辰年にちなんで上昇の年にしたいと神社・仏閣に多くの人が詣でました。
 しかし、本当に神・仏頼みで救われるのでしょうか。
 今年は理屈 ではなく、実践する年であるように思われます。
 一人一人が、ありったけの情熱をもって何かをやりきった一年にできるか否かが問われています。
 すべての人々は、人生の勝利者になる資格があります。しかし、その資格をゲットするには闘争こそが必要となるのです。紛れもない「自分自身との闘い」が不可欠となるのです。この人間の内側から動機が形成されるのは、その人の行動はすべて自分が選択したものに他ならないからであります。
 新年の初めにあたり、人間尊重の主体性の確立は、それぞれの人が自分の内側からの動機を大切にし、それぞれが人生の勝利者になることが一番大切なことであります。
 そんな思いで生きる一年にしたいものであります。

    「私は、あなたから必要とされています!」
    マザーテレサは、人から期待されていることが、生きる力だといっています。

    平成24年1月の良き日に。