無量のいのち

無量のいのち

 

今年の夏は暑い、ただひたすらに暑い。

 

だからこんな夏こそ、じっと本当の自分を求めて、心静かに自分を見つめる絶好の機会だかもしれない。

 

「本来の面目」「本当の自分」とは何であろうか。

 

TKCの飯塚真玄会長から、送られてきた本がある。横田南領 円覚寺管長著「人生を照らす禅の言葉」である。

 

その中の、道を求めるの中に、松原泰道先生の教えがある。松原泰道先生は、よく坐禅の「坐」という字を見なさいと言われたそうである。「坐」という字は、土の上に人を二つ書く。

 

「坐るという字に二つ人がいる。一つは感情のままに流されてしまう弱い自分であり、自我である。もう一つの人は、この弱い自分、感情のままに流されてしまっている自分を冷静に見据える、もう一人の自分なのだ。」

 

と教えて下さったそうである。

 

「そして、坐禅というのは、この自分の中にいるもう一人の自分と出会うことだ。」

 

と説かれたそうである。

 

「禅の修行も心の鍛錬も、何も心が強い人だけがするものではありません。
あなたが、自分のことを泣いたり喜んだり、怒ったりすねたりと、ずいぶんたくさんの心を持っているが、どれが本当のあなたなのでしょうか。どれもその時々の一時の感情にすぎないのではありませんか。

 

そんな一時の感情を苦にしなくてもいいのです。

 

それよりも、いま自分は泣いていると自分を認める、気が付いている、もう一人の自分があなたの中にいることに気が付いたことがありますか。

 

今、僕が喜んでいると、喜んでいる自分を知るもう一人の自分が、あなたの心の中にいることを考えて下さい。

 

このもう一人の自分を身体で学ぶのが禅の修行なのです。だから、本当に自分を学びたいという熱意さえあれば、誰にでも禅の修行はできるものです。」

 

と教えられたそうである。これが、泰道先生の「一期一会」という書物に載せられているそうである。

 

呼吸を整えよう整えようとするよりも、静かに見つめていると自然と整ってくるものだそうである。
感情の波も同じで、静かに見つめていることによって収まってくる。そして、その静かに見つめているものこそ、もう一人の自分である。

 

さらに、泰道先生は、

 

「それは父と母から授かったいのちである。しかし、父母もまたその父と母からいのちを授かっている。さらに、その父母とさかのぼってゆけばきりがない。無限に遠い過去から受け継いだいのちである。めいめいの心の奥にはそんな素晴らしい宝がある。生まれながらに持っている誰にも奪われることのない宝である。それこそが、本来の面目(本当の自分)にほかならない。」

 

と、教えている。

 

世間を騒がす昨今の情勢の中で、心に染み入る教えに耳を傾けるのも、また楽しいことである。