利他に生きる

利他に生きる

税理士という仕事は崇高で、税に関する唯一の士業である。今年も確定申告業務を終える頃、ホッとつく間もなく新しい税制も出てきて、またその準備にそなえるといったこのごろである。といいつつ、今年の1月に「新年におもう」をupして以来、4ヵ月を経てしまった。明日からはゴールデンウィークに入る。この時期に、まずは更新します。

 

さて、最近多くの日本人が利他に目覚めた記事を目にすることが多い。「人」という文字は、人は人によって支えられている存在であることを示している。事実、この世に一人で生きている人は一人もいない。言い換えれば、人は皆、利他の心によって生かされているのである。利他の心は、人間が生きていく上での必須条件といえる。

 

孔子は仁(思いやりの心)を説き、釈迦は慈悲を説き、キリストは愛を説いた。ともすれば利己に染まりがちな心を是正すべく、人間存在の本質は利他にあることをその一語で端的に示したのだろう。仁。慈悲。愛。三聖人の説くところは、一つである。

 

また、我が日本にも利他に生きた人がたくさんいる。二宮尊徳もその一人である。尊徳は、「二宮翁夜話」の中でこう言っている。「人間の体の組み立てを見なさい。人の手はわが方に向いてわが為に便利にできているが、向こうに向けて押してやることもできるようになっている。鳥獣の手はこれに反して、自分の方へ掻くことしかできないようにできている。だから人たる者は、他の為に押し譲るという道があるのだ。それを自分の為に取る事ばかりに努力して、他の為に譲ることを忘れてしまった者は、人にして人にあらず、と同じである。恥ずかしいことではないか。ただ恥ずかしいだけではなくて、天理に反することであるから、ついには滅亡するだろう。」

 

五歳の時にが氾濫・所有の田畑を流され、貧困のどん底から一家を再興したのみならず、六百余の貧しい村を立て直した人の言葉は、利他に生きる事の大事を説いて明快そのものである。

 

また、最後に二人の先達の言葉を思い出す。森信三先生の、「はやがてに転ぜばならぬ。そして還相の極はしであり、奉仕である。」往相とは自分を創る道、還相とは人に役立つ道である。自己を創った後は人に役立つ道に生きよ、との教えである。

 

坂村真民先生は、いい言葉を残している。

 

「どんないい果物でも 熟さなければ 食べられない それと同じく どんな偉い人でも 利他の心がなければ 本ものとは言えない」

 

私たちもこういう先達の言葉を範に、天理にかなった生き方を目指していきたい。