ゴルフ友達

ゴルフ友達

今年の夏、税理士を開業して30年日本税理士連合会から30年表彰を受けました。

また同じ年にTKC中部会からも30年在籍の表彰を受けました。何か実感はないが、30年よくやってきたものであると思う。

ちょうど開業したころ、ゴルフを始めたものである。当時は一人で仕事をやっていたもので、確定申告期には5日ぐらい徹夜をして、フラフラの体でゴルフに誘われ参加したものである。それは決まって、3月16日であった様に思う。

あれは徹夜つづきの体に、どしゃぶりのゴルフであった。

18ホール回った後、家へ帰ってバタンと倒れた事を思い出す。風邪をひき3日間くらい高熱でうなされたことを覚えている。しかし、ゴルフほど楽しいものはないと思っていた。

時あたかもバブル期の全盛期、なけなしの金と借金をして、一流ゴルフクラブの会員権を3,000万円近い価格で購入した。

以来、CクラスからBクラスへと、順調に毎週土曜日はゴルフ場でゴルフにいそしんだものである。Aクラスも手につかめそうな気がした。

仲間も大勢いた。ゴルフを語ったら深夜まで及ぶ友達もいた。しかも、HCも順調に下がっていった。練習もした。どんな、ゴルフ場でもやってみたくて、足を運んだ気がする。

そして腰痛のギックリ腰にやられた。しかし、半年で回復したらまた再開した。事務所のコンペも15回連続でやってきた。が、腰痛は過酷であった。HCは16でストップしたまま。

2年前に今度は、六十肩で肩があがらなくなってしまった。1年半はゴルフクラブを封印した。しかし、最近になってまたゴルフを始めた。やれば楽しいのである。以前の様に飛ばなくても、心の底から楽しいのである。

長男とは2バックでよく回った。小学生からはじめて今もよく回っている。どんどん飛距離で離されていくのであるが、ゴルフはあがってナンボと口でいいながら、18ホールを上がって、楽しい一日をよく過ごした。

そして最近は、ゴルフを誘ってくれる友もめっきり減った。私のせいである。

ゴルフの誘いを体のせいにして、断ってばかりいたのが原因である。

いけないことは即、改めるのが私の流儀。しかし、自治区の役をうけたこの3年間は、思う様にゴルフはできないが、誘われれば断らないでいようと思う。

私の愛読書に月刊ゴルフコミックがある。その中でも「キャディ愛」には涙がこぼれる程、感動したりしている。‘16年11月号にも感動した。

あるゴルフの友をクモ膜下出血で亡くした65才の男性(いつも遺書を胸にしまって生きている)に、74才の老人が話をする。

「時は1935年 アイルランドの名門コース、ラビンチゴルフクラブで毎年10月に1度だけマッチプレーを戦った2人のゴルファーがいたんです。

かつてアイルランドのラグビー界で鳴らした【怪力】ことジョン・マルカムと、綿密にボールを運ぶことに長けた【近眼】ことバード・イッチ。

彼らは戦争をはさみ、50数年にわたって年1回のマッチプレーを戦った。

やがてふたりは年老いた。【近眼】はピンがまったく見えなくなり、【怪力】は手の震えでまともに球が打てなくなった。

    【近眼】が言ったそうです。

    『さて、どうする?ゴルフはもうやめにするかね?』

    【怪力】が答える。

    『こいつをやめたら、すぐ死んでしまうような気がしてな』

    『わしもだ。じゃあ、来年』

    『それまで達者でな』

    そう…ゴルフはいいライバルが1人いれば十分…という話です」 と。

その男は、死んだ友人との重ねたゴルフが心の支えになっていた。

また明日もがんばろうと思わせてくれていた。友人がいなくなって、好きなゴルフをしてもう少しだけ元気になろうと思っていたけど、やっぱり無理だった。

と、思っていた時に、たまたまこの74才の老人と同スコアであったことから老人に、もう一度、私のライバルになってくれと声をかけられる。そして最後に、俺…もう少しこっちで頑張ってみるよ。

で、終わる話でした。

思えば、私にもやはり失いがたいゴルフの友人はいる。また、可能な限りやっていこうと思う。