もう一度「プロフェッション(Profession)と税理士」とは
2018.10.10
「プロ根性、プロ意識をもて!」と上司が部下を激励するときのプロも、子どもたちが憧れるプロスポーツ選手のプロも、それぞれ「プロフェッショナリズム」と「プロフェッショナル」を縮めたことばである。この「プロ」とは、いったい何でしょうか。
「プロフェッション」(Profession)を辞書で引くと、筆頭に「職業」とあります。
職業については、夏目漱石が「道楽と職業」と題した兵庫県明石での講演でこんなことを語っているそうです。「どんな職業であれ、ただ好きだからやるというのではだめだ。人のためにするという公益性をもつべきものが、職業である」と。
好きでやっている間はただの道楽だけれども、そこに「他人のために」という価値を見出した瞬間、道楽は職業に変わるというのである。さらに続けて漱石は、「他人のため」がとりもなおさず「自分のため」になると言っています。これこそが、職業意識、プロ意識というものでしょうか。
ところでプロフェッションは本来、強い使命感に支えられたものでした。プロフェッションの語源は、13世紀に「入信の誓い」という意味で登場し、中世の時代には「神学、法学、医学にかかわる職業」をも指す語となり、さらに「公言」「宣言」「告白」の意味をもつにいたったことばである。
公のために貢献することを神から求められた者たちがプロなのであり、その使命を果たすために長期にわたって修養し、専門技術を身につけ、生涯をその使命遂行に捧げる人たちがプロでした。中世の時代にプロと目された聖職者、裁判官、医師たちには、自分は神から公のために尽くすことを託されているのだという使命感がありました。この職業に身を置く者には、ごまかしや裏切りや、自分の儲けだけを考えることなど決してあってはならない、あろうはずがないということで、衆目からひと目でそれとわかるように、ユニホームに身を包んでいたそうです。プロであることを常に問われていたわけです。
「税理士よ法律家たれ」と、租税法という法分野の範囲内ではあるが、税理士がプロフェッションとしての法律家の自覚を持ち、「法律家」としての誇りをもって職務にあたってもらいたいと言われ続けた、故・松澤智先生の教えにも、その事は貫かれています。
租税法が法律であり、法律学である以上、学問と密着した職業であって、単なる個人の利益追求のみを主眼として営まれるものではなく、公共に対する奉仕の精神をもち、このような同じ目的を追求する人間集団として存在するのが「税理士制度」である。
我々税理士個人々々は、人間として、社会にいかに生くべきかの深い洞察をもって、プロフェッションとしての法律家の役割を果たすべきである。
そして、ユニホームに襟を正す思いで自らのプロ意識を問う必要がありそうです。私達税理士には、租税正義の実践という高い価値目標があるわけですから。